「教育とは洗脳」です。

 

こんにちは、さおりです^^

 

今回は、

「教育とは洗脳」

という刺激的なお話をします。笑

 

学校とか社会生活が窮屈だな〜っ
て感じてる方は、

特に最後まで読んでみて欲しいです!

 

私は大学で教育学部に入学しました。

その学部の授業で、
最初に教授に言われた言葉が、

「教育とは洗脳です。」

という衝撃的な言葉でした。

 

あなたは
「教育は洗脳だ」なんて、
考えたことがあるでしょうか?

 

実は私は、
この教授の言葉を聞いた時、
一瞬驚いたのですが、

ほぼ同時ぐらいに
「確かにそうだな」って
納得したのです。

 

その理由は、
私の人生で良いか悪いか、それを実感する体験があったからです。

今からその話をしますね。

 

 

私は高校に入学してすぐ、
学校に行けなくなりました。

 

不登校って人それぞれ、
色んな理由があると思いますが、

私の場合は「特にこれ」っていう理由が
自分でもわからない状態でした。

 

高校に入学する時期に周りの忙しそうな大人たちをみて

「本当に幸せな人生ってなんだろう?」

って疑問を抱き始めたことで、

「自分もこのまま大学に入って就職してっていう人生で良いのかな?」

って思い始めたことが大きなきっかけではあったと思います。

 

周りの人間関係にはとても恵まれていたし、

勉強したくない、
とかそういう訳でもありませんでした。

 

もともと、
「時間や場所を縛られること」
とか、

「自分のペースで行動できないこと」
とかが苦手だったので、

学校に対してそういう
ストレスはあったと思います。

 

多分そういう内面的な色んな要素が重なって、

急に「学校に行きたくない、行けない」
と気づいてから、

最初の頃は、自分でも意外に
落ち着いていました。

 

もちろん
「学校に行けないなんてやばい」

っていう感覚はとてもありました。

 

でも「なんで行けないんだろう・・」
と混乱しつつも、

「今は休みたい」
「自分の今後や価値観について一回ゆっくり考えたい」

っていう明確な気持ちがあったので、
多少落ち着いていたんだと思います。

 

「しばらくゆっくり自分と向き合って考えたら、
また行けるようになるかも」

ぐらいには前向きな気持ちでした。

 

 

でも急に行かなくなった私に対して、

両親のほうが先に、
あっという間に
精神的に追い詰められていきました。

 

私の両親は、
「かなりまじめなタイプ」で、

「周りと違うことをすることをするなんて
受け入れられない」

という価値観でした。

 

自分の子供が学校に行かない状況なんて、
両親にとっては耐えられないほど
辛かったと思います。

 

しかも私は、
地方のコミュニティが狭い所に住んでいたので
なおさら、周囲の目がささる環境でした。

 

 

追い詰められた両親は、
私に対してあらゆる手段を使って、

学校に行かせようとしました。

 

最初は優しく諭すような日もありましたが、

だんだんと、
追い詰められていなかったら絶対出てこないような言葉が

私に対して、
飛び出してくるようになりました。

 

 

そしてそんな両親の姿をみて
私もどんどんすごいスピードで、

精神的に追い込まれていったのです。
(もし音をつけたら「ビュドーーン!」って感じです笑)

 

 

毎日親子でも夫婦でも喧嘩ばっかりになって、
家庭崩壊状態になってしまい、そこからは・・・

「これ以上は落ちれない」って断言できるぐらい
落ちに落ちた日々でした笑

 

 

「子供が学校に通えていない」
っていうことで、

母は追い詰められて毎日泣いていましたし、
そんな親をみて私も、

「学校に行けないなんて本当に恥ずかしいことなんだ」

「人に見られたくない、誰にも会いたくない」
状態になっちゃったんですね。

 

 

結局入学した高校は途中で辞めるしかなくなって、
3年間ほとんど引きこもり状態でした。

 

 

学校にも行けない、
家は私が原因で崩壊状態になってる、
家にいたくないけど外にも出られない、
近所の人に見られたらどうしよう、

ていう気持ちが常にあり、

 

学校にも家にも居場所がない私は

この世界で生きていける場所がない・・・

って思うぐらい追い詰められていました。

 

高校生だった私は、
学校や家族、地域が、
「世界の全て」だったのです。

 

 

 

でもそんな状態でしたが、
私にはすごく幸運な救いがありました。

 

それは友人達の存在です。

 

私が引きこもり状態だったので、
ほとんど会えなかったですが、

「なんで学校こないの?」
とかは、みんな聞かずに

時々「元気?」って連絡くれたり、

幼馴染たちが、
外が暗くなった頃に家の外にきて、
散歩に誘ってくれたこともありました。

 

みんな進学校で忙しい状況でしたし、
私も返事ができない状態の時もあったので、

やりとりの回数自体は
そんなに多くなかったと思います。

 

でもその少ないやりとりが、
当時の私の唯一の支えになりました。

 

そんな友人達の存在があったから、
今生きていられてるなぁって

感謝してもしきれないぐらい、
心から感謝しています。

 

(なんか暗い感じの話しになってしましたが、
今は家族間でも「笑い話」にできるぐらいなので大丈夫です。笑)

 

 

 

この閉鎖的などん底世界から
一気に抜け出したきっかけは、

「運良く大学に合格したこと」でした。

 

 

もちろん体力的にも
まったく回復していないし、

精神的にも混乱真っ只中のままで、
急に入学が決まったので、

最初は、ほとんど授業も行けませんでした。

 

でも大学って高校と違って、
クラスがあるわけじゃないし、

欠席してるからって
そんなに目立たない環境なんですね。

 

だからちゃんと毎日行けなくても、
社会からの疎外感を感じにくいのです。

 

そして何よりよかったのが、

「高校までは出会えなかった、
色んな価値観の人に出会えたこと」

でした。

 

 

 

前回の記事で、

「軽音楽部に入部した」ことを書きましたが、
私の入部した軽音楽部は、

「なんとなく社会の大多数からは少しずれている」
とか、

「うまく周りと馴染めない」

みたいな人たちが結構いたんです。

 

(あくまで、私が入部した軽音楽部です!
「これが軽音楽部の特徴」ってわけではないですよ!笑)

 

でもロックバンドで一般的にイメージされる
パンクロックというジャンルは、

反社会的な思想を音楽にしていることが多いので、

「社会の大多数に合わせて生きることに
違和感や不満を持っている。」

そんな人たちが集まる確率が高い、というのは
多少あるかもしれません。

 

 

そういう世間一般的に
「変わってる人」
って言われるような人が多い集団だったからか、

私の、学校に行くことが苦手なこととか、

社会の大多数から見れば、なかなか
受け入れてもらいにくい言動でも、

割と笑って受け入れてもらえる環境でした。

 

そんな、
面白くて優しくて個性的な人達に囲まれながら、

少しずつですが、徐々に社会復帰していきました。

 

そうしてふと気づいたら、

「高校に行けないぐらい、
恥ずかしいことでもなんでもなかったんだ」

って自然と自分の価値観が変わっていたのです。

 

 

 

そして、冒頭で少しお話した、授業の話に戻ります。

 

初回の授業で、教授が言いました。

 

「最初に話しておきたいのですが、

『教育とは洗脳です』」

と。

 

この言葉に一瞬驚きましたが、

 

「高校は絶対行かないといけないもの」
から ↓
「高校は絶対行かなくてもいいんだ」
という、

 

『「もともと絶対的だと思っていた価値観」の変化』
を実感した後だったので、

すぐに「確かにそうだな」と心から納得できました。

 

 

私たちは義務教育で小学校、中学校、
(今は大多数が高校まで進学しますね、)

月火水木金 と、学校に通います。

 

これはみんながそうしてるし、
あまりにも自然な流れなので、

なんの疑問も持たずに受け入れている人が
大多数だと思います。

 

例えば、日本に四季があることって、
当たり前に受け入れていますよね。

これは私たちが日本に生まれて、
育つ過程で認識する日本が、

「四季があるのが当たり前の世界」

だからです。

 

これと同じで、

私たちが日本社会に生まれて、
育つ過程で認識する社会が、

「週5で学校に行くことが当たり前の世界」

だから、
ほとんどの人が疑問を持ちません。

 

 

この「四季」と「社会の常識」

違いが何かわかるでしょうか??

 

 

答えは、

「四季」は

・人間の力で変えることのできない
宇宙の自然現象

 

「週5の学校制度」は

・人間の誰かが作った制度にすぎなくて、
絶対的ではない

 

という点です。

 

私も両親も、
私が高校に行けなくなるまで、

「週5で学校は通わなければいけないものだ」
ってことを、

なんの疑問も持たずに
受け入れていたんですね。

 

だから行けなくなった時に、
パニックになりました。

 

「学校に行く」っていうのは
絶対的なものであって、

それ以外の選択肢がある
ってことを知らなかったのです。

 

実際は、

学校に行けなくても死なないし
生きていけます。

学校以外で勉強する手段なんて
たくさんあります。

 

私も両親も生まれた時から、
社会の制度を教育されて、

完全に洗脳されていたのです。
(いいのか悪いのかは置いといて、です!)

 

 

教育の歴史について
勉強すればわかるのですが、

そもそも公教育ができたのは、

「社会や国家を維持する為の
一種の洗脳教育をする為」

なんです。
(また機会があれば詳しく書きますね!)

 

学校に通うことで自然と身につく価値観って
すごく多いですよね。

 

例えば
「学校は週5で通うものだ」
もそうですが、

・先生の指示には従うこと
・周りと行動を合わせる集団行動
・社会でどういう振る舞いをすれば褒められ認められるのか

など、

こういう価値観が
自然と身につく仕組みになっています。

 

こういう価値観を
国民が身につけてくれれば、

安心して国家を維持していけます。

 

 

大多数の日本人が、

「月〜金まで会社で働くのは当たり前」
という共通認識をもってるのも、

「学校教育の延長上」に、
社会が成り立っているからなんですね。

 

 

だから、

「教育は価値観を植え付けるための洗脳だ」
とも言えるのです。

 

 

「洗脳で価値観を植え付ける」

っていうとなんとなく
嫌なイメージをもたれるかもしれませんが、

私は全く嫌なものとは思いません。

 

むしろ必要なものだと思っています。

 

実際に国家や社会は、
「ある程度の洗脳教育なしでは
成り立たないから」

です。

 

そして、学校教育だけに限らず、

「価値観」って、
「何かに影響を受けて形成されていくもの」
であり、

言い換えれば、

「何かに洗脳されていくことで価値観は形成される」

からです。

 

私たちは何かしらの価値観をもとに、
日々の行動を決めています。

何かしらの価値観がないと、
人は社会的な行動を起こせません。

 

だから、
使い方は間違ってはいけませんんが、

「洗脳」って
必要で大事なことだと思います。

 

 

でも、
『自分の当たり前の価値観は、
何かに洗脳されているにすぎない』

という視点を持つことはとても大切です。

 

 

洗脳されていることを認識することで、

「違う価値観を選択できる自由を得ることができる」
からです。

 

高校生の時に、

「学校は何がなんでも行かないと行けない場所ではない」
っていう視点を持つことができれば、

たとえ学校には通えなかったとしても、

引きこもってひたすら時間が過ぎるのを待つ、
なんてことはしなかったと思います。

 

あそこまで精神的に落ちることもなかったし、
もっと前向きに自分と向き合って、

何かに挑戦することに
時間を使えたと思うのです。

 

だからもし、

学校に行けなくて悩んでいる人とか、

週5日も会社に行くことを辛いと感じている人、

色んな社会制度に窮屈さを感じている人、

がいたら

「絶対大丈夫!」

と声を大にして言います。

 

世界は広くて、価値観は無限に選択できます。

 

今持ってる常識は、
「自由に変えていける」し、
「自由に選択できる」のです。

 

自分の人生の常識をどこに置くのか、

「洗脳される先を選ぶ」

ぐらいの感覚で、
環境や情報を選択していけば、

自然と価値観を
自分で決められるようになれると思います。

 

 

今回は、
「価値観と洗脳」

についてお話しました。

 

「教育」
についてイメージが変わったでしょうか?

 

もしかしたら、
嫌なイメージになっちゃった方も
いらっしゃるかもしれませんが、

私は教育学部で「教育」を学んで、

「教育」って

「本当に無限の可能性がある魅力的な学問」

だと確信しています。

 

「教育」は、
色んな意味や使い方があって、

子供だけじゃなくて、
大人や自分に対しても、

「価値観を意図的に変えていける」、
「魅力的な道具」

になるのです!

まさに「セルフコーチング」に繋がってきます。

 

先日、
「マーケティング」に
無限の可能性を感じたっていう
お話をしましたが、

 

無限の「マーケティング」

無限の「セルフコーチング」

 

この2つを掛け合わせれば・・・・・

 

 

「無限の可能性しかない!」ですね・・・!笑

 

そんな
「教育(コーチング)」について、
「どうすれば効果的に使いこなせるのか」
の部分をどんどん発信していきます。

お楽しみに!

 

最後までお読みいただき
ありがとうございました^^

 

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